ぐるん。ぐるん。ぐるん。世界が反転するたびに、頭が割れるようにがたがた痛む。 吐き戻されるべき胃の内容物はとっくに全て出きってしまっているのに、 まだ、酢苦い液体が、ぐつぐつと食道を侵しながら登ってくる。 そして強烈な吐き気の後には、耐え難い喉の渇きが彼女を襲うのだけれども、 舌をだらりと垂らして呻いた次の瞬間には、喉に甘く――だが不気味な味の液体が、 さらさらと流し込まれてくるのであった――もう何度目のことだろう。 悪酔いに振り回された頭は、丁寧に梳き、纏められていた青紫の髪を乱雑に散らかし、 銀縁の眼鏡をも、どこかわからぬところに放り出してしまっている。 ゆえに、少女の視界は思考がようやっと形を取り戻すまでに落ち着いてもなお、 壁と天井の区別さえつかぬような、一切が曖昧の中にあったのである。 何者かが、吐瀉物に汚れた顎や頬を綿の手ぬぐいか何かで擦っている。 そのことに気づいたのは、眼鏡をその何者かの手によってかけ直されたからであり、 また同時に、自身の両腕両脚が、固く縛られて全く動かせないことにも思い至る。 そのまままた、ぐるん。今度は酩酊によるものではなく、極めて物理的に、 少女を縛り付けた戸板が、その何者か“達”によって持ち上げられたためだ。 神輿めいて運ばれるその上で、形よく、確かな重さのある乳房が、ゆさ、ゆさ、ゆさ。 普段意識しなかった、自身の女としての――否、もっと原始的な、雌としての魅力、 それを、己の乳房の跳ねる重みによって知るというのは、彼女に強い羞恥を感じさせた。 誰と付き合ったわけでもない、想いを通じ合わせた異性のいるわけでもない―― だが依然として自分の身体は、その細胞一つ一つまでが“この後”の期待に打ち震えている。 ただ何が起こるか知らぬのは――汚れなき、彼女の魂だけだ。 輿はどうやら、行く所まで行ったらしい――らしい、というのは、 やはり身動きの取れない彼女は、代わり映えのない岩天井を通してしか動きを感じられず、 視界が垂直にがたん、とまた回転したことで、方向の変化をようやく認識したからだ。 しかしそんなことは、今更どうでもよい。目の前の光景に、少女は目を疑った。 彼女の視界に映るのは、生身の人間の三倍はあろうかという背丈の異形である。 肌はとても、人間のそれと同じには見えない――彼女の髪の色にも似た青黒い皮膚が、 岩肌のように極端な凹凸を見せる筋肉の上に、べったりと張り付いているのだ。 唇から覗く太い牙も、同じく頭頂から生えた角も、人間性とは無縁のもの。 悲鳴を上げなかったのは、彼女が恐怖と驚愕によってほとんど前後不覚にあったからだ。 鬼の周りには、小さな人影が群がる――いや、彼らは成人であるのだろうが、 対比物となる鬼の背丈が極端に大きなために、子供か何かのように映るのである。 そしてその顔には、白い板に赤色の線がごちゃごちゃと引かれた面を付けて、 象牙か、あるいは獣の骨でも削り出したと思しき“角”の飾りを頭につけている。 そしてその“鬼もどき”たちは、己の信奉する神に向けて、“供物”を見せているのであった。 彼らの服には、薄っすら見覚えがある――彼女が趣味の酒蔵巡りをする中で、 ここにしかない、秘伝の、特別な――そんな言葉で、試飲会に連れ込んできた連中だ。 彼らのにこやかな笑みも、仮面の下の、媚びへつらった微笑の代替物でしかなかったか。 自分が罠に掛けられ、体よく拐われてしまったことを、少女はようやく知るのである。 “鬼”は供物の見目が、思ったより随分と上等なことに気を良くしたのだろう。 にたりと牙を剥き出しにして、指を横柄に振って“もどき”に運んでくるよう命じる。 何人もの“もどき”が我先にと彼女のところに走りより、がたがたと戸板を揺さぶった。 彼女の手足を縛っていた縄は、その片側だけが取り外されて結び直されて、 少女の四肢は、やはり拘束された状態のまま。狩られた鹿のように、持ち上げられる。 そして朱塗りの大きな――人間の女が軽々と数人は横たえられるような器の上に、 丸裸の彼女を放り出す。さあっと、彼らの足音は“鬼”の至近から離れていく。 見上げると、やはり巨大な――その青黒い肌は、例えば巨大な鉄の像か何かが、 動き出したかのような威圧感を与えてくる。食われる――少女はほとんどそう思った。 しかしその予想に反して、紐ごと掴まれて吊り上げられた彼女の身体はわずか数尺の、 口にはほど遠い高さの場所に、持ち上げられただけである。みしみしと、全身が軋む。 肉に紐がめり込む痛みに、声を上げた彼女の喉からは――それを追い越すようにして、 “鬼”のあまりに残酷なほどに太い性器に純潔を散らされた苦痛の声が絞り出されていた。 人間を、たとえば歯磨き粉の最後を押し出すかのように絞れば――そんな声が出よう。 明らかにその太さは、人間の雌が受け入れていいような限界値を超えていたし、 それを裏付けるように、鬼は彼女の両脚の縄を左右に大きく引っ張ることで、 無理矢理に股関節を広げさせて、なんとか己の性器を納めようとしていた。 仮に彼女が破滅寸前の娼婦であったとて――耐えられないような暴力的太さ、 それが、男を知らぬ肉体をめきめきと破壊しながら貫くのである。 痛みを覚えながら、しかし少女は己の死なぬことを異常に思った――死ぬ、死ぬと言いつつ。 その答えは、何度も喉に流し込まれたあの薬液にあるのだが、そんなことはわからない。 助けて、と、殺して。相反する二つの言葉が、突かれるたびに何度も入れ替わる。 鬼は、供物が上げる悲鳴ににたにたと嗜虐的に笑うばかりであって、 鬼もどきたちは、神と巫女との交合を、感動に目を潤ませながら見守っている。 これにより宿された新たな神は――彼らの教団の、御神体となる予定であるから。 少女はただ、己の子宮がこの異形との仔に勝手に捧げられたのだ、という事実を、 胎内を埋めるような熱の塊によって、知覚するだけであった―― 胤を撒かれた神聖なる母体は、鬼もどき達によって丁寧に丁寧に修復された。 酷い脱臼と筋繊維断裂を見せていたの股間周りも、何とか脚の閉じ開きができるように。 そして彼らは決まって、彼女の腹部に手を添えた後に拝み、祈りを捧げる―― 本人には何一つ労いの言葉を掛けぬまま、勝手に名前を付けた“それ”に対して、 早くおいでください、健やかにお育ちください――そう、言うのである。 日毎に増していく胎の重みに、少女の不安はより立体的に、分厚くなっていく。 あんな化け物の仔を――孕まされてしまって、産まなければならなくなっている。 酒一杯の代償には、あまりに重すぎると――めそめそと、泣く。 すると鬼もどき達は、胎児に悪影響を与えるな、と恐ろしい目で彼女を見るのだ。 嬉し涙以外の涙を流すことさえ、神降袋には許されてはいない。 どくん、どくんと、“それ”の息吹は強くなる。母に絶望と恐怖を刻みながら。 無数の蛭のような、下等な肉蛆達が少女の全身にねとねとした液体を塗りたくり、 ずっしりと重たい腹に妊娠線の出ないよう、丹念に丹念に手入れをする。 つられて重くなった乳房も、厚みを増した尻も、己の肉体がどんどんと、 “母”になっていることを、彼女に実感として与える――全く嬉しくない感情を。 蛆の頭が、ぴん、と乳首を擦るように跳ねると――乳腺さえ酷く熱く疼き、 早く我が子にここに溜め込んだ乳を飲ませてやりたい、と薄白い涙を流すのだ。 ただ、肉体の主たる彼女の想いを、全ての細胞が蔑ろにしている―― ずきずきと痛む胎は、もうまもなく、新たな神がそこに降りることを示唆していた。 鬼もどきたちは、無言でひれ伏して出産の時をもう半日程も待っている。 少女の視界には、その後ろで腕組みをしながらにたにた笑う鬼の姿が見えていた。 呪いの言葉の一つでも吐いてやりたいのに――陣痛は、それを許さない。 ごきごきと、再び股関節が押し広げられながら、“それ”が出てくる感覚がある。 視界が何度も明滅する。時間の感覚がすり潰され、引き伸ばされ、消失する。 彼女の耳に次に届いたのは――産声か、歓声か。それを聞き届ける余裕すら、なかった。